「バブルとバブル崩壊の家族」

1人1人が個性を花開かせ 認め合い

心からの笑顔で生きることが出来る。

そんなwin winの世界を作っていきたい。

 

そんな願いを持つ私が  どう出来たのか?

30代で経験した 我が家のバブル崩壊です。

 

結婚した頃は 夫はまだ自分の収入だけでは家族を養えないところから スタートし  次第に収入は増えていき 何不自由ない生活になりました。

 

そして、バブル期を迎え  夫は 毎日 お酒🥃や接待や旅行や高額商品の買物、周りの人に大盤振る舞いの日々でした。とにかく シラフで帰宅等なく外泊も当たりまえでした。

 

ある日、お金を投げるように テーブルに置いた時とても 嫌な気持ちになったのを覚えています。

 

と 同時に  私は このお金を 良い方向に使いたいとの思いから 寄付をしたりしていました。

 

夫の表情、態度も変わっていくのを 感じていました。

 

 

そして、バブル崩壊‼️

 

株式会社にしていた 夫の会社も 夫だけ責任を取って辞めました。これから いったい どうなるのか⁇  不安はあったけど  夫は必ず家族を守ってくれると信じていました。

 

こんな時こそ  妻であり母である私は明るく

家族を支えなければ と ますます 自分の心を出す事なく  表面的には  明るく 強く 元気なお母さんを演じていました。

ある日 夫が  私や子供達が明るく元気なのが 救いだと書いているのを見て  嬉しく 思ってました。

 

それから 7年。預金はほとんど無くなりました。

夫の話は どんどん変わり  2年足らずで転居転居の繰り返し。息子は 小学校に4校通いました。

より一層、子供達が不安にならないようにと心を配る日々を過ごしていました。

 

夫に対しては 余計なことを言わないように 黙って見守っていた私ですが  夫が 義父母の家や貸し倉庫を担保にして 融資を受けると聞いた時は 猛反対しました。お父さんやお母さんが一生懸命頑張ってこられて得た財産。お母さんの老後の収入源でもありました。

 

私は言いました。

商売はどうなるかは判らない。

もし、失敗したら お義母さんやお義姉さんの住む場所も無くなる。

私達がした事は 私達で責任を取ればいい!

やり直す為には  破産でもいいじゃないか

貴方が決めたら0から私も頑張るからと必死に訴えました。

が  夫は「おまえはサラリーマンの家に生まれているから解らないんだ。おまえは木を見て森を見てない。」と言われ 結局義母は病気で入院中に その話しを受け入れたのでした。 辛くてたまりませんでした。

 

それから  しばらくして  義父母の家は 失うことになり 義母と義姉は住み慣れた家を出る事になりました。

 

続く。