第2の人生 「離婚から」❗️

大濠公園で久しぶりに夫にあった。

「離婚」を告げた。夫が固まった。ボー然としているのが  伝わってきた。

 

沈黙が流れた。

 

たくさんの心があった。

 

「辛くなったら 自分だけ  逃げて 

そんな生き方で  本当に貴方はいいの⁈」

許さない⁈  私も傷つくけど 貴方も それなりに痛みを引き受けて!

「肉を切らせて骨を断つ」そんな気持ちだった

 

もう、一方で 皆んなを楽にさせたいと思った。両親の不安、恐怖、夫の苦しみ、子供の不安、それを 私が離婚を選び 全てを引き受けて新しく生きることを決断する事で  皆んなはホッとするだろうと思った。

 

母子家庭の援助を受け  私が働いて  2、3万でも

夫が送ってくれたら  何とかなる。

やるしかない!   10年近く先の見えない不安を抱え、夫と相談することも出来ない日々、結局逃げる生き方を選ぶ夫と離れて  前を向いて生きよう!と決意した。

 

ところが、夫は その後逆上し 毎晩のように実家にTELをしてきて 父を罵倒した。母は私が夫に良からぬ事を話したのでは?と疑ってきた。

母のその言葉に嫌気がさした。

父は怒って 裁判をすると言う。

 

裁判などしても 彼は法律関係者。彼の庭で

戦うようなものだ。どう考えても  誰も救われないと思い 父をどうにかとめた。

 

嵐のような日々は過ぎ  古くてボロい家を借り私と 高2の娘、中2の息子の3人の暮らしが始まった。

まるで、夢を観ているようだった。

 

ある日、1人で家にいて洗濯物を畳んでいると突然涙が溢れてきて 声をあげて泣いた。

 

結局、夫は 1円のお金も送ってくる事なく

今に至っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そして、離婚。」

親の元に戻され、どんどん不安になっていく両親。父と夫との約束は果たされず、放置された私達。

夫の立場からみたら 「自分は嫁の実家の面倒をみたのだから  今度はそちらがみてくれても良いだろう」との思いが聞こえくるように思いました。 

実家に戻される前には  お姑さんは 実家にお金を借りに行ってたよ。と聞かされてました。

 

夫も両親も  言うのは〇〇が悪い!

 

私は もう、そんなことはどうでもいいんだ!

何の罪もない子供達を守りたい。安心して

生活させたい。ただ それだけ!

 

その為には どうしたらいいか⁇

それを考えることが何より大切じゃないか!

皆んなに言いたかった。💧  力のない自分が不甲斐なかった。

 

夫のプライドは まず妻子を何不自由なく生活させることだと思っていました。何より子供の父親として 責任を持つこと。それだけは ある!と信じていました。

 

もう一つ思っていたのは、自分だけは  義母や義姉の元で守ってもらい 何不自由なく 何も変わらず 何の辛さも痛みもない生活をし、世間的にも責任もとらず逃げようとするその生き方に人として許せない! 

ムクムクと 湧き上がってくる怒りがありました。それで良いのか⁇

 

私は上手に生きるなら もっとやり方もあったのではと思いますが   直接夫に「離婚」を告げる決心をするのでした。

 

結婚してから、離婚は何度も何度も考えた。でも、子供たちをお父さんのいない 家庭で育てたくなかった。両親とは違う本物の夫婦関係を作りたかった。

私は未熟だけど  その時その時精一杯 頑張った。

 

私は自分に問いかけていた。

 

自分の心を偽って  子供の為に 死ぬまで嘘をつら抜いて 演技をして生きるのか?

これから どうなるのか なんて 全く解らない。

だけど、自分の心に正直に生きるのか?

 

何度も自分に問いかけた。

 

そして、思った。

子供たちも だんだん成長し  私の嘘も通らなくなってきてる。これから先はもっと見抜いてくるだろう

そんな両親や家族で 誰がいったい幸せなんだろうか?

 

 

親も夫も 誰も当てには出来ない!

自分だけ!  本当に子供たちを守っていけるのか?

震える思いでしたが  離婚を 決意したのでした。

 

 

 

「バブル崩壊後の家族 ②」

記憶も定かでないところもあるけれど

私は 働いてみたものの  もっと 将来の事も考え

資格を取って働きたいと その費用を貯めていきました。

 

ところが、そのお金も生活費に消え  

ある日 夫が 私の実家に半年だけ 行ってくれと

言ってきました。必ず 半年後に迎えに来るからと

 

私は幼い頃から 親に甘えるという考えが出てこないので  思いもしなかったのですが

結局、夫が父に話しをし  私と子供達だけ 私の実家に転居となりました。

 

父が夫に  「連絡だけはしなさいよ」と伝え

居候生活が始まりました。

 

10数年前に お世話をした 両親と弟との同居生活ですが  大変でした。息子が飲む牛乳にさえ文句を言う母、連絡をしない夫に不安になる父。私に不安をぶつけてきます。どんどん 家の中が ギスギスしていき子供達に辛い思いをさせるのが嫌でたまりませんでした。

 

ギクシャクした空気の中で また子供を守ろうとする私。

 

夫からは  一切の連絡がなくなり  両親は益々

不安定になっていきました。私は 過去に夫が

私の実家に対して 共に考え、支援してくれた想いを知っているし 「なぜ、立場が逆になった時

支援してくれないんだ」という不満がある事を感じていたので  父に 夫はこんな気持ちがあると思うよ と伝えました。

すると、父は逆上し  「金を返せと言うんか〜〜」と怒鳴りました。私はガッカリしました。どうして伝わらないんだろう。どうして

事実を、人の心を 冷静にうけとめられないんだろう。この人達にそれを望むのは無理なんだと思いました。

 

結局、 両親も 私達を受けとめてくれる器は無いし  夫は 口だけは 色々言うけど  実際には

どうしていいか  解らない。自分は安全な場所に身を置き  逃げたいだけじゃないか。

 

誰も助けてくれない。皆んな自分の事だけ。

人を責めるだけ! 子供を守るのは自分しかいないんだ。

もう、この家を出ようと決心するのでした。

 

「バブル崩壊後の家族」

バブル崩壊後 夫は責任を取って代表取締役を辞任。事務所は後輩に譲りました。

 

それから 離婚に至るまで  7年。

色んな事がありました。今はもう 思い出せない

事もたくさんありますね。

 

夫が操縦する船が 何処に行こうとしているのか?  解らなくて  ただ 信じて乗っているだけ

辛かったなぁ  

夫は 夫婦で話し合うことが 嫌いでした。

妻は黙ってついてくればいいと。でも、それだけ男としての責任感を持っているのだとも思ってました。

私が1番心がけていたのは  夫のプライドを傷つけないこと。

だから、極力  夫のする事に口を挟むことはしませんでした。

でも、時には 夫の考えを尋ねたり  自分の気持ちを話したくなることがありました。

当たり前ですよねー  

 

結局、言われたのは

「夫婦は話す必要がない。それは お前の好みだ」でした。

 

私は 夫婦は 共に人生を歩むパートナーだと思っていたので  その言葉は  離婚を決意する

一つの理由になりました。

 

夫も 苦しかったのだと思います。

自分の心の中を そのまま 出す事が出来なかった。カッコ悪い姿は 誰にも出せなかった。

そんな気がします。

 

でも、次第に 家にいると いつもゲームをし

お酒を飲み息子に 手を上げるようになり  以前にも増して情緒不安定で  私は  心が休まる事はありませんでした。

 

金銭的にも  夫が○月にはこうなるから という  話しは ことごとくダメだったと聞かされ  義姉から 借りてくるようになりました。どんどん追い詰められていきました。

 

夫には  何度も 「貴方が働いてと言ってくれたら 私はすぐ働くから」て伝えていて

勝手に働くことは 夫のプライドを傷つける

と思っていた私でしたが  義姉に対して

申し訳なくて  働くようになりました。

 

つづく

 

 

 

 

 

「バブルとバブル崩壊の家族」

1人1人が個性を花開かせ 認め合い

心からの笑顔で生きることが出来る。

そんなwin winの世界を作っていきたい。

 

そんな願いを持つ私が  どう出来たのか?

30代で経験した 我が家のバブル崩壊です。

 

結婚した頃は 夫はまだ自分の収入だけでは家族を養えないところから スタートし  次第に収入は増えていき 何不自由ない生活になりました。

 

そして、バブル期を迎え  夫は 毎日 お酒🥃や接待や旅行や高額商品の買物、周りの人に大盤振る舞いの日々でした。とにかく シラフで帰宅等なく外泊も当たりまえでした。

 

ある日、お金を投げるように テーブルに置いた時とても 嫌な気持ちになったのを覚えています。

 

と 同時に  私は このお金を 良い方向に使いたいとの思いから 寄付をしたりしていました。

 

夫の表情、態度も変わっていくのを 感じていました。

 

 

そして、バブル崩壊‼️

 

株式会社にしていた 夫の会社も 夫だけ責任を取って辞めました。これから いったい どうなるのか⁇  不安はあったけど  夫は必ず家族を守ってくれると信じていました。

 

こんな時こそ  妻であり母である私は明るく

家族を支えなければ と ますます 自分の心を出す事なく  表面的には  明るく 強く 元気なお母さんを演じていました。

ある日 夫が  私や子供達が明るく元気なのが 救いだと書いているのを見て  嬉しく 思ってました。

 

それから 7年。預金はほとんど無くなりました。

夫の話は どんどん変わり  2年足らずで転居転居の繰り返し。息子は 小学校に4校通いました。

より一層、子供達が不安にならないようにと心を配る日々を過ごしていました。

 

夫に対しては 余計なことを言わないように 黙って見守っていた私ですが  夫が 義父母の家や貸し倉庫を担保にして 融資を受けると聞いた時は 猛反対しました。お父さんやお母さんが一生懸命頑張ってこられて得た財産。お母さんの老後の収入源でもありました。

 

私は言いました。

商売はどうなるかは判らない。

もし、失敗したら お義母さんやお義姉さんの住む場所も無くなる。

私達がした事は 私達で責任を取ればいい!

やり直す為には  破産でもいいじゃないか

貴方が決めたら0から私も頑張るからと必死に訴えました。

が  夫は「おまえはサラリーマンの家に生まれているから解らないんだ。おまえは木を見て森を見てない。」と言われ 結局義母は病気で入院中に その話しを受け入れたのでした。 辛くてたまりませんでした。

 

それから  しばらくして  義父母の家は 失うことになり 義母と義姉は住み慣れた家を出る事になりました。

 

続く。

「争いの無い世界へ 夫と母 ②」

1人1人が個性を花開かせ 認め合い

心からの笑顔で生きることが出来る。

そんなwin winの世界を作っていきたい。

 

心身共に 苦しかった  30代

私が 本当は 1番信頼関係を持ちたかった

夫と母。 私が 夫や母の話しを聞き 合わせていれば  問題はありません。

だけど 私が話しを聞いてもらいたい 自分の願いを出すと上手くいきません。

 

例えば  私が母の来客に 熱があっても 手伝いに行くのは 当たり前で  私と娘がインフルエンザにかかり  勇気を出して助けを求めても

不機嫌そうに「はぁ  何すればいいの⁇」

と 15時過ぎて やっと 来てくれる

そんな 感じでした。

 

私は いつも  実家の事を考え 母の願いは

ほとんど聞いてあげるのに

なぜ  こんな風に扱えるんだろう⁇

 

娘の事など 気にもならないのだろうか⁇

 

様々な出来事を通し  傷つき  苦しみ

そんな 自分が嫌になり

35歳で  「もう、あの人を母親と思うのは

やめよう‼︎  何も望まないし、あの人の評価に

生きる事はやめよう‼︎  たとえ これで親子の縁が切れても 仕方ない。」と 決意する事になったのです。

 

それにしても、私の心に 疑問がありました。

何故、母は お腹を痛めて産んだ我が子に

あんな言動が出来るのだろう⁇

私には全く理解が出来ず  答えが知りたいと

思っていました。

 

続く。

 

「争いの無い世界へ 母と夫!」

1人1人が個性を花開かせ 認め合い

心からの笑顔で生きることが出来る。

そんなwin winの世界を作っていきたい。

 

皆んなが笑顔で 幸せなる為に という願いで

一所懸命に社団法人で学び実践し 走った20代

喜びいっぱいだったはずが  いつのまにか

マンネリになり  色んな矛盾に行き詰まり

実践活動から一歩引き 裏方の仕事をしながら

過ごしていました。30代に入り 心の中はモヤモヤ 体調も 悪くなっていきました。

 

メニエールの症状が出たりして 家事も休み休み

しながら 日々を暮らしていました。

身体がキツくてたまりませんでした。

ある日 母親である自分が暗くなると 家の中が

なんだか良くないと 肌で感じ 「元気になろう!、ならなくっちゃ」と決意して

健康に関する情報を集め 取りいれたりしていました。ここでも   まず、子供の為になんとしても元気にならないと❗️ と思っていました。

(どこまでも  笑)

 

その頃  母や夫に対しての不満、失望、悲しみ

はピークを迎えてたと思います。

色々な出来事を通し  良く泣いていました。

夢でも、泣いて  目が覚める日も少なくなかったです。

ただ、今こうして苦しかった出来事を書こうとすると  何だか出て来ないのです。

あれっ⁇  なんでだろ⁇

おかしいな⁇

沢山、沢山あって  嫌になる程 苦しんだのに

 

2年前に認識技術に出会って  学び 実践し

いつのまにか  消えていった⁇

 

悩みまくった  母や 夫のこと。

話すと終わりがない位だったのになぁ

 

例えば  夫は  外ではニコニコ 饒舌で社交的だけど 家の中では 会話は無く 私と子供たちは

横になって動かない夫のお世話に忙しい!

とても心が不安定で 訳もなく 息子に手をあげたり  泣かせて笑っている。!

 

外泊も何もかも 自由。女性関係も沢山あったらしく 離婚の後 あちこちから耳に入ってきました。

とにかく  病気とか  台風とか 悩みがあったり 困ったり 何かあった時  そばにいてほしくても

助けてほしくても そんな時ほど 必ず夫は留守でした。自分が強くなるしかないんだ!と思っていました。

 

私は  20代は良く悩んで泣いたり 夫と話し合おうとしたり しましたが  次第に  子供の為、

実家を助けてくれたし 経済的には何の不安も無かったので  そのことが 夫の最大の愛情だ!と

自分に言い聞かせていました。

 

それでも  出てくる 不満、不安に対して

ある日 決意しました。

 

夫が例え 私を騙していても  信じると決める❗️

不満も不安も 思い巡らせば  キリがない。

要は、私がどうしたいのか   だと思ったのです。

 私にとっては  子供の幸せが 1番大切で

それは 揺らぐことは無かったので

その父親である 夫を大切に愛していこうと

決めたのでした。