令和という新元号によせて⑤

世界中で、平和を望まない人、戦いを望む人はどれくらいいるのでしょう?

ほとんどの人間は平和を心から望んでいると

私は思います。

けれども、戦争でなくても 日常の生活の中で 争いや競争 いじめなどで 心や身体を病んでしまったり  自殺や殺人が家族や親しい関係性の中でも起こっているのは毎日のニュースでも 聞かない日はありません。

 

私の子供の頃からの願いも 皆んなが 其々の個性を認め合い 花開かせる。誰も 苦しまない そんな世界が作れたらというものでした。

 

しかし、現実は厳しく  そんな世界は夢物語のように感じていました。それでも、どこかに答えがあるのではと 探し続けていました。

苦しくて苦しくて  ‥

そんな時に n tech と出会いました。

そこに 答えがありました。

 

今回も n tech を発見し 人類に発信し続ける

ノジェス氏の 新元号 令和によせてシリーズ⑤を

紹介させて頂きます。

 

 

人間は誰しも、今「1」そのもので生き、beautiful harmony(美しい調和)がとれたチームプレーの働き方、生き方を望むものです。ですが現実は、多様な観点や判断基準による摩擦、衝突が絶えず起こり、思った通りにならずに葛藤や衝突、戦争状態が終わりなく続く、悲しい現実が繰り広げられています。 

そんな中、1人ひとりの観点や判断基準を互いに認め合い、多様性、多元性、相対性、特別性を尊重し合う社会をつくろうと努力を重ねてきた私たちですが、それでもなお、鬱や引きこもり、自殺、格差社会は止まるどころか、人間共同体の存続をも脅かしています。

 

何が不在だから、人類の大統合が未だに起きていないのでしょうか?

 

無意識の機械的条件反射を土台にした“知能”の発達によって、逆説的にAI(人工知能)を生み出し、人間の存在意義を喪失させる手前まで迫ってきている中、人間の意識や感情に対してや、人間の心の存在や仕組み、その必要性すら全くわかっていないのが人間の現在地です。

 

この意識と知能、すなわち心(意識)と脳(知能)の関係を明確に整理できたときに、今ここ時間もない、空間もない、存在もない、エネルギーもない、源泉的な動きそのものであるオールゼロ化感覚が可能になります。私はこれを「令和感覚」と呼んでいます。

逆に、この「令和感覚」が不在で、今ここ、体の目でみてしまえば、脳の認識のクセに支配され、複雑な現実の状況に支配されてしまうので、beautiful harmonyを認識できません。 

源泉的動きは、無方向性、無境界線、無ポジションの動きなので、無所属の心、無所有の心、機械化されない心と表現できます。この機械化されない心(源泉的な動き)が、ある条件によって、エネルギー、力、光、物質、生命、精神といった「機械化される心」となり、一瞬だけその形(ポーズ)で表れます。つまり、機械化される心の濃度の違いが、賞味期限がある多様な存在となって表れるのです。

 

「今ここ、目で見る身体の感覚」ではなく、「今ここ、1で観る令和感覚」を取り入れること、つまり認識構造の新しい感覚を取り入れることで、機械化された不健康な心を卒業して、機械化されない健康な心がつくれます。その健康な心の人たちが、オーケストラのように美しいチームプレーをつくる世界が、令和の世界です。

そのときに、受動的な和、静的な和、消極的な和、我慢して沈黙する和、相対的な和、見せかけの和ではなく、主体的な和、能動的な和、力動的な和、積極的な和、我慢せず主義主張する和、絶対的な和、本物の和に変わります。

イメージ不可能な源泉的な動きだけが真実ですので、ここでいう「絶対」とは、イメージ可能な錯覚世界の中での“固定や不変の絶対はない”という意味です。

 

歴史を変える大きな事件を起こすためには、大きなエネルギーが必要です。

大きなエネルギーは、平等な出会いから得られます。ですが平等な出会いは、これまでの「今ここ、体の目で見る観察」では絶対に不可能です。

 

では、どこからみれば平等な出会いができるのでしょう?

それは、今ここ、時間もない、空間もない、存在もない、エネルギーもない、源泉的な動きだけがある、今「1」の世界、つまり機械化不可能な心から現実をみることです。機械化されない心が明確に条件づけられて初めて、機械化された多様で複雑な世界が現実であることが認識できるのです。

真の「絶対」から出発し、源泉的な動きから観る「完全観察」が、令和感覚の具現化です。そしてそれができたときに初めて、対等な出会いができ、誰もが同じ条件でゲームを楽しめる、宇宙自然のオーケストラを認識できる健康な心になるのです。

 

人間はこれまでずっと、今ここ身体の目で見ることで、自他ともに境界線を決めつける暴力を平気でやってきました。例えるなら、自分や相手をまな板の上に置いて包丁で切り刻むようなものです。つまり、「同じ、共通」を観るよりも、「違い」ばかりをフォーカスして、摩擦、衝突、葛藤を生み出し続ける生き方だったのです。

 

ですが令和の時代は、機械化されない心(機械化不可能な心)から、一瞬の条件によって機械化される心を観る令和感覚で、愛のゲームができる時代が始まるのです。

令和の時代は、これまでのように「これが正解だ、正しい答えだ」と正解探しをしたり、〇×を決めつける生き方を続ければ、機械化された心を絶対視してしまうような愚かな人生になってしまうのです。なぜなら、機械化された心は、賞味期限がある一瞬の幻にすぎないからです。

令和の時代は、今ここ、ひとつそのものになっている状態から、現実を楽しむ時代です。そうすると多様な条件付けられた現実(機械化され、複雑で多様な違いを生み出す多様な次元)を楽しめます。

 

AI胎動とともに、ほんの一部の人を除いて「無用者階級」になるだろうと予測され、不平等格差社会の到来と、人間の尊厳の危機という2大危機を逃れられないと言われています。その2大危機を同時に解決できる唯一の道が、今ここ、完全観察の令和感覚を得ることです。

それを案内できるnTechが、令和時代の多くの人々に役に立ち、愛されれば幸いです。